こんにちは。事務所に導入された加湿器の一番近くの席を狙っているスタッフKです。
今回はFP2級&簿記2級合格体験記の続きになります。
今回からは、「どうしてFPや簿記の受験にたどり着き、なぜ40代未経験で新しい職種に飛び込んでいくことになったのか・・・」今までの経験などを振り返りながら、お伝えしていきたいと思います。

私は長崎県の海がとってもきれいな島で、高校卒業までの18年間を過ごしました。
魚が美味しく、釣りの聖地でもあります。
私の父は、祖父が起業した会社の2代目で、幼いころから食卓での会話は”会社の経営について”でした。
よくドラマなどで見かける「最近学校はどうだ?友達と仲良くしてるか?」などという会話は一切なく、「売り上げが・・・」「従業員が・・・」「税金対策が・・・」と家族が話しているのを聞きながら毎日ご飯を食べていました。
それが嫌だと感じたことは一度もなく、物心ついたころから当たり前でした。
おかげで今でも”利益を生み出すこと”や”経営”について考えたり、話し合ったりするのが大好きです。
幼いころの生活が、今の職業に大きく関わっているのは間違いないと思います。
島育ちの私は、幼稚園から高校まではまるでエスカレーター式の学校かのように、なんの疑いもなく、決められた(選択肢のないとも言う)レールの上を走っていました。
高校受験もあってないようなもの・・・「勉強を頑張る!」という感覚はなく、国英数理社という名のナゾナゾに沢山正解したら先生が褒めてくれるし、高校に入れた・・・という感覚で過ごしてました。
そんなのんきな高校時代、学校で熱を出し早引をしたことがあります。
高校から家までは徒歩20分くらいの距離だったので、トボトボと歩いて家に着くと、会社で仕事中のはずの父がポカリスエットやプリンを沢山用意して待ってくれていました。
「なんで具合が悪いって知ってるの?」と聞くと・・・
学校から父に連絡が入ったわけではなく、私が歩いているのを見かけた近所のおばさんが「Kちゃんが歩きよったけん、具合が悪かっちゃなかと?」とわざわざ父の会社に連絡をしてくれたそうです。
今思うと、とてもありがたいお話なのですが、当時思春期だった私は「この町にはプライバシーはないのか・・・」「漫画の世界みたいに、学校をさぼったりするなんて絶対不可能やん・・・」と田舎暮らしに絶望したのを覚えています。
そうして都会(私がどこで何をしてようと誰も気にしない世界)に強く憧れて、大学は東京に行きたい!!と決め、親の大反対を押し切り、東京に進学しました。
大学では経営とは全く関係のない児童福祉を選択しました。
私が大学進学した時期は、ちょうどバブル崩壊して数年が経ち、就職氷河期真っ只中でした。
そのため「一般企業に就職できるのは一部のエリートだけだろう。」「一般企業に就職できたとしても、結婚・出産などでいったん離職したら、再就職するのは不可能だろう。」と予測していました。
その点、福祉職はこれから必ず需要が伸びてくるし、離職しても再就職しやすく、失業の恐れがないと踏んでいたのです。
石橋を叩きまくって渡る慎重派の性格が影響した選択だったと思います。
勉強もせず、特になんの努力もせず、全くエリートではない私は、ちょっと良い給料でリスクを負うより、安い給料でも細々と稼ぎ続けられる福祉職を選択したのです。
そうして、大学では保育士資格を取得しました。
しかし、大学で児童福祉を学んでいるうちに「子どものケアをどんなに頑張っても、家で親が不安定だったら、子どもは幸せを感じられない。」と気付き、「子どもの幸せを守るためには、まずは親の幸せを!」と大人の精神安定のお手伝いができる、精神科の仕事に就きたいと思うようになりました。
精神保健福祉士とは”精神科ソーシャルワーカー”とも呼ばれ、働いている時は略して”ワーカー”と呼ばれていました。
ワーカーは、クライアント様と面接しお話を聞きながら、問題解決のためクライアント様の環境調整をし、その方らしく生きていけるように援助します。
わかりにくいですが、ワーカーは”精神科病院のなんでも屋”とも言われていて、クライアント様のどんな悩みでも聞くことができます。
病気のことだけでなく、生活や家族のことなんでも相談を受けます。お金の相談もです。
その自由度が高く、多岐に渡った相談を受けられるところに魅力を感じ、精神科の職種の中でもワーカーを職業選択しました。
また当時、精神保健福祉士はできたばかりの資格で、私は資格ができて5年目の取得者・5期生にあたります。
先輩が少なく、これから後輩が増えてくる職業を選べば、パイオニア的存在になることができ、更に将来は安泰だと、とても打算的に考えていました。笑
今回のお話は20代前半までのお話です。
この後、精神科病院に精神保健福祉士として就職し、30代後半までを過ごさせていただきました。
その後は、海外に移住して日本語教師の職に就いたりと・・・話せば長くなりすぎるので、割愛いたします。
なかなかFPと簿記にたどり着かなくて申し訳ありません。
なにせたどり着いたのが40代なので・・・・。
精神保健福祉士の仕事は『精神科に通う患者様に寄り添い、伴に走るお仕事』です。
税理士事務所の職員も『経営者の皆様に寄り添い、伴に走るお仕事』で、業界は全く違いますが、伴走する能力が求められるという点において、共通することが多いと感じています。
また「面接して、悩みや問題点をお伺いし、法律や制度などを駆使して、調整・応援していく。」という流れは、どちらの職業も同じで、私はそういう形で誰かのお役に立てるのが好きなんだと思います。
次話ではいよいよ簿記にたどり着く予定です。
海外に移住していた人間が、どうして帰国しFP&簿記にたどり着くのか・・・続きも興味を持っていただけると嬉しいです。
また次回をお楽しみに!
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